ひまわりの歴史 | トリビアバンク
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ひまわりの歴史

ひまわりの歴史

食べ物として最初は知られていたひまわり

ひまわりというと夏に咲く太陽のような花をイメージされる方が多いかと思います。
特にひまわりが咲くと夏が来たーという反応をする方が多いでしょう。
そんなひまわりの歴史を見てみるとひまわりは食品として扱われています。
そしてひまわりを食品として考えるにあたり、世界の各地で様々だという事も特徴の1つです。

ひまわりという言葉の歴史

ひまわりは今と同様に太陽をイメージする花として知られています。
学名で表現するとHelianthus annuus(ヘリアンサス)となっており、そのままの意味で太陽の花と昔から知られていたのです。
そして、英語ではsunflowerとなっており、日本では向日葵と呼ばれており、太陽に向かってくるくると輪を描く様に上にのびていくことから向日葵となりました。

ひまわりの特徴

ひまわりは朝は東、夕方は西に向かって延びていくのですが、これは太陽が東から登って、西に沈むという動きを追っている形になります。
そのため太陽を追って咲いているように思えるのが大きな特徴です。
しかし、太陽を追って延びるのは花が咲き始めるまでになります。
開花してしまうと茎が固まってしまい、常に東を向いている状態で太陽のような花を咲かせ続けます。
しかしどんな時も太陽に向かって一直線にのびているひまわりは人々の希望となっていたようです。

ひまわりの成長にも秘密があり、オーキシンと呼ばれる成長ホルモンが花を咲かせる役割を果たしています。
オーキシンは太陽の光が当たることで濃度が高くなり、その濃度が陰になり太陽の光が当たらない茎の部分の成長を促進するのです。
そのため、まるで太陽を追って咲いているように見えるというのが、実際の仕組みとなっています。

そんな希望溢れるひまわりにも悲しい恋のいい伝えというものがあります。
ひまわり自体に付けられている花言葉は「私はあなただけを見つめる」になります。
しかし、この言葉の意味は実際に聞いてみると悲しいものとなっているのです。

ギリシャ神話に登場するクリュティエと呼ばれる水の妖精が太陽神ヘリオスに恋をするのですが、ヘリオスは他の女性へと心移りしてしまいます。
しかし、クリュティエはヘリオスに詰め寄るのではなく、1本のひまわりとなってヘリオスの星をひたすら見つめ続けているのです。
一途という意味でひまわりの花言葉が語られることが多いのですが、実際にはこのような悲しい物語がありました。

油やお菓子として食べていた

ひまわりの種にはたんぱく質と脂肪を含んでおり、北アメリカに住んでいる先住民族が生きていくための栄養摂取のために食べていました。
主に料理用の油やすりつぶしたものをお菓子にするなど、より栄養が取りやすい調理方法で利用しています。
他にもロシアでも油として使用しているなど、食用として考えている所は多かったようです。